2016年1月13日水曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

【戦後70年~東京裁判とGHQ(2)】
石原慎太郎の忘れ得ぬ屈辱 東條英機は「日本のヒトラー」だったのか? 残された遺族たちは…
東條英機@東京裁判

 雨が降っていた。正確な日時は覚えていない。旧制湘南中学校の学生だった元東京都知事、石原慎太郎(83)は、隣に住む大学生に連れられて東京裁判(極東国際軍事裁判)の傍聴に行った。父、潔がどこからか傍聴券を手に入れてくれたからだった。

 法廷があったのは、大戦中は大本営陸軍部が置かれた東京・新宿区の陸軍士官学校(現市ケ谷記念館)。2階の傍聴席につながる大理石の階段を上がると踊り場で進駐軍の憲兵(MP)に肩をつかまれた。
 「キッド(小僧)!」
 大声で怒鳴られたが、何を言っているのか分からない。大学生が「『うるさいから下駄(げた)を脱げ』と言ってるぞ」と耳打ちした。
 仕方なしに下駄を脱ぐと、MPは下駄をけり払った。石原ははいつくばって下駄を拾い、胸に抱いて裸足でぬれた階段を上った。

 傍聴席から下を見下ろすと、被告席にA級戦犯として起訴された被告がずらりと並んでいた。元首相の東條英機の顔も見えた。

 英語なので何の審理をしているのか、さっぱり分からなかったが、戦勝国が「支配者」として一方的に敗戦国を裁こうとしていることだけは伝わった。あの屈辱感は今も忘れない。
× × ×
 東京裁判の法廷は、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の法廷を模して作られた。
 かつて天皇の玉座だった講堂の正面部分は無残に破壊されて通訳席となり、判事席と被告席が対面するよう配置された。
昭和21年5月3日から23年11月12日まで続いた東京裁判は、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーが、自らを「極東の統治者」として演出する ための政治ショーでもあった。被告席は傍聴席から見やすいよう配置され、被告の顔が記録フィルムにくっきり映るよう照明は増設された。

 20年8月30日、愛機バターン号で厚木飛行場に到着したマッカーサーは、その日のうちに米陸軍対敵諜報部隊長(准将)、エリオット・ソープにこう命じた。

 「戦争犯罪人の逮捕者リストを作れ。そしてまずトージョーを逮捕しろ」
 指令を受けたソープは当惑した。リストを作成しようにも戦争遂行に関与した人物どころか、日本政府の指導体制や大戦の経緯など基礎知識がほとんどなかったからだ。もちろん東條の自宅さえ知らなかった。
 作業が遅々として進まぬことにいらだったマッカーサーは9月8日にソープを呼び出し、怒鳴りつけた。
 「私の命令が10日間も実行されないのは前代未聞だ。48時間以内にリストを提出しろ!」
追い詰められたソープはふと思いついた。

 「そうだ。マッカーサーはトージョーと言っているのだから、とりあえず真珠湾攻撃を仕掛けたトージョー内閣の閣僚を中心にリストを作ればよいのだ…」

 こうしてソープは翌9日に40人近いリストを作成した。日本軍に協力した元フィリピン大統領やビルマ独立義勇軍のアウン・サン少将まで含まれるずさん極まりないリストだったが、これを基に戦犯容疑者の一斉拘束が始まった。
 「居所が分からない」とされた東條は東京・世田谷の自宅にいた。AP通信記者からこの情報を聞いた連合国軍総司令部(GHQ)は、9月11日にMPを拘束に向かわせたが、東條は直前に短銃自殺を図った。
東條は何とか一命を取り留めたが、その後もGHQの失態は続き、キーマンとなる人物が相次いで自殺した。

 近衛文麿はその象徴だといえる。12年7月の日中戦争開戦時の首相で、16年の日米開戦直前まで首相を務めた近衛は、日本の戦争責任を追及する上で最重要人物だったが、どうやらGHQは気づいていなかった。

 その証拠に、近衛は終戦後の東久邇宮内閣に国務大臣として入閣し、20年10月4日にはマッカーサーが直接会って憲法改正を指示している。この時点では、GHQは従順な近衛に占領政策の一翼を担わせる考えだったのだろう。
近衛は戦犯リスト入りをひそかにおびえていたが、GHQが相次いで発表する追加リストにその名はなかった。11月9日には米戦略爆撃調査団から日中戦争の経緯などを3時間も追及されたが、19日発表のリストにも名前がなかった。

 そこで近衛はようやく安堵(あんど)したようだが、12月6日に突如としてリストに名を連ねた。近衛は出頭期限の16日、東京・荻窪の自宅で「戦争犯罪人として米国の法廷で裁判を受けることは耐え難い」と書き残して青酸カリで服毒自殺した。

 近衛のリスト掲載が遅れたのは、中国が南京の軍事法廷への引き渡しを要求したこともあるが、GHQが大戦の経緯を理解していなかったことが大きい。
 近衛の自殺により、「軍人だけでなく文官も戦争犯罪人として処罰する」というマッカーサーの構想はもろくも崩れ、戦争への関与が極めて薄い元首相、広田弘毅が代わりに処刑されることになった
(→火葬場から盗み出された7人の遺灰
×  ×  ×
東京裁判のずさんさは数え上げれば切りがない。検事団も判事団も戦勝国のみA級戦犯の「平和に対する罪」は戦後編み出された概念にすぎない。被告側の戦勝国に不都合な証言は通訳を停止し、記録に残さなかった。

 しかも被告の選定には、戦勝国の利害が露骨にからんだ。

 21年4月10日、GHQはA級戦犯26人を確定した。ところが、遅れて来日したソ連検事団が、日ソ間の協定で解決済みの張鼓峰事件(13年)とノモンハン事件(14年)を蒸し返し、元駐ソ大使の重光葵と元関東軍司令官の梅津美治郎の追加をねじ込んだ。
 重光が禁錮7年の刑となったことには首席検事のジョセフ・キーナンにも自責の念があったようだ。後に重光の弁護人に「重光が無罪になることを期待する十分な理由があり、有罪となって非常に困惑した」と手紙で吐露している。
× × ×
 そんな戦勝国の一方的な裁判に正面から異を唱えたのが東條だった。
キーナンによる東條への尋問は22年12月31日から23年1月6日まで続いた。

 キーナン「米国は日本に軍事的脅威を与えたのか?」

 東條「私はそう感じた。日本もそう感じた」
 東條はこう語り、米国にハル・ノートを突きつけられ日米開戦が避けられない状況だったことを縷々(るる)説明し、キーナンの「対米侵略戦争論」を跳ね返した。
  東條は尋問直前に提出した口述書でも「この戦争は自衛戦であり、国際法には違反せぬ。(略)勝者より訴追せられ、敗戦国が国際法の違反者として糾弾される とは考えたこととてない」と主張。その上で「敗戦の責任は総理大臣たる私の責任である。この責任は衷心より進んで受諾する」と結んだ。
自らも認めた通り、東條が大戦時の指導者として多くの兵や国民を死なせた責任は大きい。陸相時代の16年1月に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」の一節を含む戦陣訓を示したことを非難されても仕方がない。逮捕時に自殺を図ったことも不評を買った。

 東條の指導力や先見性にも疑問符がつくが、GHQが貼った「日本のヒトラー」というレッテルはあまりに酷だろう。少なくとも東條が昭和天皇を守る盾になる一心で東京裁判に臨んだことは論をまたない。

巣鴨プリズン

× × ×
 「日本=侵略国、米国=正義」というGHQの世論操作もあり、東條の遺族に対する戦後日本社会の風当たりは凄まじかった。
東條の長男、英隆は父親と反りが合わず軍人ではなかったが、戦後は就職できず、長く妻の内職で生計を立てた。その長男(東條の孫)の英勝は、小学校では誰 も担任を引き受けたがらず、友達もいない。よく登り棒の上から教室をのぞいて過ごした。自殺を図ったこともあったという。就職にも苦労したが、「一切語る なかれ」という家訓を死ぬまで守り続けた。

 東條の曽孫、英利(43)も幼い頃から大人の冷たい視線を感じて育った。小学校の担任教諭は何かにつけて「東條英機の曽孫の…」と接頭語をつけた。

 小学4年の時、母親に連れられてドキュメンタリー映画「東京裁判」を見に行った。被告席で東條が国家主義者の大川周明に頭をポカリと殴られたシーンを見ていると、母から「あれがひいおじいちゃまよ」と耳打ちされた。
同じ年に東條英機の妻、かつ子が99歳で死去。玄関に飾られた曽祖父の軍服姿の写真を見て、何となく自分の家族の置かれた状況が分かるようになった。高校では、社会科で世界史を選択した。授業中に教諭に東條英機の話を振られるのが嫌だったからだ。

 「私も多少不快な思いをしたけれど父の代に比べればかわいいものです。父に『これだけは誇りを持て』と言われたのが、GHQがいろいろと探したのに不法な金品財宝が一切なかったこと。おかげで貧乏暮らしでしたが、今は曽祖父に感謝しています」

 こう語る英利は、自分の息子の名にも「英」をつけた。重い歴史を背負う東條家の意地だといえる。
(敬称略)
産経ニュース2015.12.21
http://www.sankei.com/premium/news/151221/prm1512210015-n1.html

参考
デタラメ東京裁判 

海外抗日記念館とフライングタイガース 
海外抗日記念館の名誉議長になったアンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)

彼女は中国の近現代政治の中枢に繋がるもう1つの重要な政治的資産を持つ。母方の家系は孫文側近の廖仲凱、その息子で共産党政権にあって華僑工作を一手に取り仕切った廖承志に繋がっていた。であればこそ彼女は、国民党・共産党・ホワイトハウスの間を“正三角形”に結んで飛び回ることが可能なのだ。
『留雲借月 陳香梅回憶録』(陳香梅 時報出版 1991年)
http://www.geibundo.com/chido_chugoku_0337.html


【wiki】廖仲ガイ 
廖仲愷(アンナ・シェンノート叔父)

(抜粋)

廖 仲愷(りょう ちゅうがい、1877年4月23日 - 1925年8月20日)は清末民初の革命家・政治家。中国同盟会以来の革命派人士で、中国国民党では容共左派の指導者として知られる。仲愷は字で、名は恩 煦。別名に夷白。筆名に屠富、淵実。祖貫は広東省恵州府帰善県。兄は廖鳳書。妻は何香凝。子は廖夢醒、廖承志。

家族
妻の何香凝は画家でもあり、引き続き国民党左派として活動した後、中華人民共和国で全国人民代表大会常務委員会副委員長をつとめた。娘の廖夢醒、息子の廖承志は共産党で活動し、承志は中央対外連絡部部長として高碕達之助と共に中日長期総合貿易覚書(LT貿易覚書)を取りまとめたことで知られる。


英語版
【wiki】Liao Zhongkai 

(抜粋)

Liao and He Xiangning had a daughter, Liao Mengxing, and a son, Liao Chengzhi. The latter had four sons, Liao Hui being the eldest. Anna Chennault is his niece.
アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)は姪

息子
【wiki】廖承志1949年の中華人民共和国の建国以降中国共産党の対外活動の責任者を務め、日本との関係では特に1962年に高碕達之助との間で取り交わした覚書に基づくLT貿易を開始した人物として知られる。中日友好協会では1963年の設立時から死去まで会長の任にあった。

日本生まれの日本育ちで、廖の話す日本語は「江戸っ子」なみのベランメエ調も話すことができるほどであり、1972年の日中国交正常化交渉では首脳の通訳として活動、中国共産党史上最高の知日家として中国外交陣における対日専門家育成の基礎を作った。

経歴
1908年、中国国民党の幹部であり孫文の盟友であった父の廖仲愷と、同じく中国国民党の幹部であり後に中国国民党革命委員会中央執行委常務委員となった母の何香凝の間に東京で生まれる。別名に母方の姓を用いた何柳華。

1919 年に帰国し嶺南大学(現・中山大学)に入学。1925年の父の暗殺後、再来日し早稲田大学に入学。1928年、済南事件をきっかけに帰国、中国共産党に入 党。1928年から1932年の間に渡欧してヨーロッパの中国人船員のオルグ工作を担当した。1930年には、モスクワ中山大学に学ぶ。そこでのちに台湾 総統になる蒋経国と机をならべた。

1932年に帰国し中華全国総工会宣伝部部長に就任。一時逮捕されたり反革命の嫌疑で党籍を剥奪される時期もあったが、党の宣伝関係などの要職を歴任。1937年より香港において抗日戦争を戦う華僑の組織化の責任者となる。

1942年に国民党政府に逮捕され1946年まで入獄。1946年に米国の仲介で成立した国共両党間の捕虜交換により出獄し、1949年の中華人民共和国建国まで、新華社社長、党南方局委員、党宣伝部副部長などを歴任。建国後は政府の華僑事務委員会副主任党中央統一戦線工作部主任など対外工作の要職に就いた。

建国後日本との国交のなかった1950年代に訪日し、対日関係の窓口として活動を行った。

1962年11月9日、責任者の名前のイニシャル、廖(LIAO)の「L」高碕(TAKASAKI)の「T」をとってLT貿易協定と言われる「中日長期総合貿易覚書」に調印し、友好商社による細々とした民間友好貿易から半官半民のLT貿易へと拡大、1964年4月20日には「中日両国の貿易事務所の設置と常駐記者の交換に関する覚書」(詳しくは日中記者交換協定を参照。)に調印し、後の国交正常化に至るまでの日中交流の道を開いた。

1963年には中日友好協会が設立されて会長に 就任、その後一貫して対日交渉の最高責任者の地位にあった。文化大革命中に先頭にたって文革推進の立場から日本共産党攻撃を行い、北京駐在日本共産党員を 「足蹴にしてしまえ」と叫んだという記録が残っている。しかし結局本人も「親日派」であると批判され一時失脚し、後に復活。1972年の日中国交正常化に 際しては毛沢東や周恩来の通訳を務めるなどして尽力した。通訳にあたっては同席する他の中国人通訳のちょっとした訳の間違いなどが、日中間の漢字表現の違 いから誤解を招かぬよう、そばでやさしく訂正したりもして進行を円滑にしていた。

1979年の中米国交回復後、1982年には台湾の当時の総統であった蒋経国に対し祖国統一を呼びかけた。党中央委員・第5期全人代常務委員会副委員長にも選ばれた。

なお、息子の廖暉(りょう き)も父の後を継いで1984年から1997年の間は華僑事務委員会主任、その後は香港・マカオ事務委員会主任を務めている。現在、第17期中国共産党中央委員(第12期以降、連続当選)も務める。


このサイトに
『生涯を中日友好に捧げた廖承志氏』
http://japanese.china.org.cn/japanese/185450.htm
という文章と画像があるんだけど

LT貿易とか

廖承志と高崎達之助http://japanese.china.org.cn/japanese/185740.htm

ググれば他にも美談ぽい記事やら出てきますが

日中友好協会というとピンとくる名前がありまして
まぁ第三代会長なんですけど

日中友好協会年表
http://j-cfa.com/about/index.html

勿論いとこのアンナ・シェンノート氏が別人格なのは言うまでもないけど
結局「抗日」団体に担ぎ上げられるわけで

フローレンス・ファン&アンナ・シェンノート
http://sina.com.hk/news/article/20150904/0/1/2/ 陳納德遺孀攜飛虎隊老兵重回抗戰受降地-1193635.html?p=2
フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏&アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏

「友好」という言葉が非常に空疎ですね
まぁ真に受ける日本人が悪い
ということだろう。

追記2016.1.12
毎日新聞の浅海一男が書いた「百人斬り」の嘘だ。ダワーがきちんと取材していれば戦後の浅海一男の消息も知ることができただろう。彼は支那に招かれ、廖承志(りょうしょうし)に一家を面倒見るから北京に来いと誘われる。文化大革命の少し前のことだ。
 廖は娘真理を北京大に入れて、今は北京市内に店1軒を与えている。その間、浅海は「日本軍は残虐だった」「向井、野田両少尉の百人斬り競争は事実だ」と北京政府のための発言を続けた。
「敗北を抱きしめて」などいられない① 

何と百人斬りにまで関わってたか・・・ 

変容する「抗日」 
海外抗日戦争記念館について
ツイッターで教えてもらった(^O^)/

在米の華僑系住民、抗日戦争勝利委員会を立ち上げ 戦後70年で 反日運動の活発化は必至

 【ロサンゼルス=中村将、北京=矢板明夫】来年の戦後70年に向けて、米カリフォルニア州などの華僑系住民らが「抗日戦争勝利70周年組織委員会」を立ち上げたことが分かった。委員会には米連邦議員や米政界にパイプを持つ有力者も参加しており、米国における反日活動は一層強まりそうだ。

 関係者や地元中国系メディアによると、「今後、委員会は全米各地で、日本が戦時中に中国や東アジアの国々を侵略して人々を冒涜(ぼうとく)し、各国の社会や経済に重大な損害を与えたことを振り返り、次世代に語り継ぐイベントを展開していく」という。
 委員会の議長は、サンフランシスコの中華街に中国以外で初めて対日抗戦を顕彰するための「海外抗日記念館」の設置を表明している女性実業家、フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏。当初の開館予定は来年9月だったが、8月15日に前倒しして進めている。
名誉顧問には、慰安婦問題での日本非難決議を主導し、先の米中間選挙で8選を果たしたカリフォルニア州下院17区選出のマイク・ホンダ議員が就任した。反日的な言動で知られ、来年は米議会を舞台に反日工作が活発化する恐れもある。

 また、名誉議長にはアンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏が就いた。1925年に北京で生まれ、通信社の記者だった22歳のとき、米空軍中将、クレア・リー・シェンノート氏(故人)と結婚。その後、渡米し多くの米国要人と交流した。米政府の対中政策顧問に就き、米中の政治交流の橋渡し役を務めた。レーガン大統領の特使として訪中し、最高実力者、●(=登におおざと)小平氏と会談したこともある。

  米政府にパイプのあるアンナ氏を担ぎ出すことで、米政権中枢などにも日本の戦争責任を訴える狙いがありそうだ。アンナ氏は高齢で、中国系メディアによる と、10月に首都ワシントンで開かれた「国家記憶映像展」に出席したほかは、近年は動静がほとんど伝えられていなかった。
夫のクレア氏は37年に日中戦争に突入した中華民国の国民党軍の顧問として雇い入れられ、米退役軍人を集めて義勇軍の戦闘機隊「フライングタイガース」を結成し、日本軍の航空部隊と戦ったことから「抗日英雄」とされている。
産経ニュース2014.12.1
http://www.sankei.com/world/news/141201/wor1412010002-n1.html



抗日戦争記念館@サンフランシスコ
抗日戦争記念館@サンフランシスコ5
フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏
http://j.people.com.cn/n/2015/0818/c94689-8937986.html



抗日戦争記念館・方李邦琴・マイクホンダ
Fang has already invited retired General James Whitehead, chairman of Flying Tiger Historical Organization, to serve as an honorary director of the museum.During World War II, the Flying Tiger pilots flew the Hump route over the Himalayas to India and back to deliver military supplies and joined the Nationalist Chinese Air Force in fighting the Japanese invaders.

http://usa.chinadaily.com.cn/opinion/2015-03/02/content_19697361.htm


このフローレンス・ファン氏がフライングタイガース歴史組織(Flying Tigers Historical Organization)
の名誉委員長をやっていると
シェンノート氏の娘、孫娘も委員なんですね
ジミー・ドーリットルの孫娘も→【wiki】ジミー・ドーリットル 

FlyingtigerHistoricalOrganizationHPFlyingtigerHistoricalOrganizationHP Florence Fang
http://www.flyingtigershistoricalorganization.com/about/committees/


【wiki】クレア・リー・シェンノート 

(抜粋)

ク レア・リー・シェンノート(英: Claire Lee Chennault, 1893年9月6日 - 1958年7月27日)は、アメリカ合衆国の軍人。中国名は陳納徳。アメリカ陸軍航空隊の将校であり、日中戦争最中には顧問として派遣された中華民国軍で 航空参謀長を務めた。フライング・タイガースの指揮官としてその名を知られる。最終階級は中将。
なお、日本では姓Chennaultについて「シェンノート」と呼ばれることが多いが、正しい発音はシェノールト又はシエノールに近い。

「フライング・タイガース」
その後、1937年に日中戦争に突入した蒋介石総統率いる中華民国の国民党政府に、アメリカの支援によって設立された中華民国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして、航空参謀長の地位(階級は大佐)で雇い入れられた。

そ の後、蒋介石総統からの軍事支援の要請を受けたフランクリン・D・ルーズベルト大統領の指示を受け設立された「ワシントン中国援助オフィス」の支援の下 に、アメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group、AVG)を設立し、カーチスP-40などの100機のアメリカ製の最新鋭戦闘機と、シェンノートと同じくアメリカ軍籍を一時的に抜いて「民間 人による義勇兵」となったパイロット100名、そして200名の地上要員をアメリカ軍内から集め中国大陸に送る。  
パ イロット募集の結果、シェンノートの下にはかつて彼と共に飛んだ「フライング・トラピーズ」(陸軍統括の飛行部隊)のメンバーも数名加わり、それなりにベ テランパイロットは揃い始めた。しかしその後は思ったように集まることはなく最終的にはシェンノートが理想としていた基準は落とさざるを得なかった。募集 名簿がすべて埋まった時、AVGのパイロットは39州から海軍50名、陸軍35名、海兵隊15名の合計100名で編成された。しかし戦闘機訓練と航空機射 撃の訓練を受けてきたパイロットはこの中の僅か1/3しかおらず、むしろ爆撃機の経験者の方が多く機体の扱いなどには未熟な者も多かった為、中国現地にて メンバーに対しての再訓練が必要であった。一方、中華民国軍兵士のパイロット訓練にも当たった。
ルイス・シェンノート蒋介石・宋美齢

死去
最初の妻・ネル夫人とは1946年に離婚し、翌年には中華民国の通信社・中央通訊社の記者だった陳香梅と再婚。1958年に死去し、ワシントンD.C.のアーリントン国立墓地に埋葬された。
クレア・シェンノート&陳香梅
(真珠湾がsneak attackだったと言えなくなるんですがそれは)


最近の画像ないかなと思って探したら嫌~~~なものを見つけた

習近平・陳香梅シェンノート
 http://www.ksnews.com.tw/newsdetail_ex.php?n_id=0000814898&level2_id=109

馬英九・陳香梅シェンノート
http://www.cna.com.tw/news/aipl/201510070265-1.aspx

【まとめ】
▼海外抗日記念館@サンフランシスコ by 抗日戦争勝利70周年組織委員会
議長:フローレンス・ファンFlorence Fang(中国名・方李邦琴)=フライングタイガース歴史組織名誉委員長
名誉議長:アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏
名誉顧問:マイク・ホンダ議員

▼アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏
フライングタイガースを指導したクレア・リー・シェンノート氏の二度目の妻
習近平・馬英九にそれぞれ会って表彰されている 

【戦後70年~東京裁判とGHQ(1)】
火葬場から盗み出された7人の遺灰は… 広田弘毅は無理な罪状にも「自ら計らわず」GHQ東京裁判法廷

  昭和23年12月26日未明、横浜市西区の久保山火葬場(現久保山斎場)の共同骨捨場に、黒いマントに身を包んだ男3人が闇にまぎれて忍び込んだ。3人は 先端に空き缶を付けた竹ざおをコンクリート床の穴に入れ、中にたまった骨灰を慎重にすくい上げた。寒さと緊張で手の震えが止まらない。なんとか一握りほど の骨灰と細かな骨を集め、骨壺に収めると、男たちは無言でうなずき合い、その場を立ち去った。

 骨壺は近くの寺で厳重に保管された後、翌24年5月3日に伊豆山(静岡県熱海市)中腹の寺院「礼拝山興亜観音」に持ち込まれた。
 遺灰は、東京裁判(極東国際軍事裁判)で死刑を宣告され、A級戦犯として絞首刑となった元首相、東條英機(陸軍大将)ら7人のものだった。
 7人の刑は、戦犯収容所の東京・巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の一角で23年12月23日午前0時すぎ、ひっそりと執行された。この日は明仁皇太子(天皇陛下)満15歳の誕生日だった。
 連合国軍総司令部(GHQ)は刑執行後、久保山火葬場に遺体を運び込み、厳重警戒の中で焼却した。遺族は遺灰の引き取りを願ったが、GHQはにべもなく断った。神聖化され、軍国主義復活に利用されることを恐れたのだ。遺骨は米兵によって鉄の棒で粉々に砕かれ、東京湾に捨てられたとされる
遺族たちの無念を聞き、東京裁判で元首相の小磯国昭の代理人を務めた弁護士の三文字正平が奮い立った。久保山火葬場で火葬されるという情報を得ると、旧知の住職とともに火葬場長に遺灰奪回計画を持ちかけた。

 火葬場長は、米兵がわずかな骨片や遺灰は掃き集めてコンクリ穴に捨てたのを見逃さなかった。クリスマスの夜ならば警備も手薄になるに違いない。こうして3人は首尾よく遺灰を取り戻したのだった。

 最終的に遺灰を持ち込んだ興亜観音は、東京裁判で南京事件の責任を問われ処刑された元中支那方面軍司令官、松井石根(陸軍大将)が日中戦没将兵の慰霊に建立した寺だった。松井は巣鴨への出頭直前に密かに興亜観音を訪ね、「どうか英霊の供養を頼む」と住職の伊丹忍礼の手を握った。
  それだけに興亜観音は絶好の安置場所だったが、油断はできない。三文字は骨壺を持ち込んだ際、「これはお知り合いのご遺灰です。時機が来るまで誰にも分か らぬよう秘蔵していただきたい」と頭を下げた。誰の遺灰かピンときた伊丹は快諾し、本堂の床下や礼拝堂など隠し場所を頻繁に変えて遺灰を守り続けた。作業 は真夜中に行い、家族にも秘密だった。伊丹の三女で現住職の妙浄(63)はこう打ち明けた。

GHQ東京裁判法廷・興亜観音
 「父はご遺灰については何も語りませんでしたが、『兵隊さんのご苦労を思えば何の苦労もない。ご英霊のご丹精があったからこそ今日の日本がある』というのが口癖でした。英霊はA級もB級もなく供養するのが当たり前だと考えていたのでしょう」
× × ×
A級戦犯として処刑された7人の中で元首相、広田弘毅は外交官出身で唯一の文官だった。

 23年11月12日の死刑宣告から2週間余り経った11月29日、広田の家族は最後の別れを告げに巣鴨プリズンを訪ねた。

  10歳だった孫の弘太郎(77)は面会室の一角でガラス越しに祖父と向き合った。物心ついて祖父に会うのは初めて。面会前に父、弘雄に「お前がおじいさん に会えるのは今日が最後だ。なるべく覚えておくように」と言われたので必死に目を凝らしていると、広田は優しくほほ笑みながらこう言った。
 「ちゃんと勉強して、しっかり暮らしなさい」
 緊張のあまり顔はうろ覚えだが、広田の落ち着き払った物腰は覚えている。他の家族にも、判決への不満や、遺言めいた言葉は一切なく「これからの世の中は外国語の勉強はしておいた方がいいな」などと何気ない団欒を続けた。
 広田は一体何の罪に問われたのか。
 主席検事、ジョセフ・キーナン率 いる検事団は、侵略戦争を計画・実行した「平和に対する罪」▽捕虜殺害・虐待など「通常の戦争犯罪」▽一般住民への非人道的行為など「人道に対する罪」- の3つの罪状で28人を起訴した。対象は3(1928)年1月1日から20(1945)年9月2日まで。適用された訴因全55項目のうち広田の訴因は48 項目に及んだ。
検事団は、首相の田中義一が3年に昭和天皇に上奏したとされる「田中上奏文」を、ナチス・ドイツを率いたヒトラーが著した「わが闘争」と同様の文書と位置づけ、歴代内閣と軍部が17年8カ月にわたり侵略戦争を計画・遂行した-という筋書きを描いた。

 実態は全く違う。この時期は短命政権が続き、政策に一貫性はない。満州事変や盧溝橋事件なども関連性が薄かった。無理な筋書きはすぐに破綻し、検事団は早晩行き詰まった。しかも証人尋問を通じて検事団が証拠提出した田中上奏文が偽物だと判明した。

  窮した検事団が飛びついたのが、広田内閣が11年8月に策定した「国策の基準」だった。仮想敵国の想定に基づき陸海軍の南北並進を記した文書を「侵略戦争 への計画書」と見立てたのだ。仮想敵国対策が戦争計画であるはずはなく、広田も「軍部の予算獲得のための方便」としか認識していなかったが、検事団は広田 を「軍部の積極的な追随者」と位置づけた。
 広田が外相時代の12年12月に起きた南京事件への対応も「現地から報告を受けながら陸相に抗議しただけで閣議報告せず、適切な対策を怠った」と責任を問われた。


  軍の作戦が閣議案件になるはずはなく、最年少で起訴された元軍務局長、佐藤賢了(陸軍中将、終身刑)は「外相は陸相に警告する以外にすべがなかったことを 証言すべきだ」と促したが、「自ら計らわず」を信条とする広田は一切弁明しなかった。広田については判事団の見解も分かれ、多数決の結果、6対5で死刑判 決が決まった。
背景には、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが「戦争犯罪は日本政府全体で遂行したもので軍部だ けの責任ではない」と文官の処罰を求めたことがある。ところが、文官ながら広田よりよほど戦争に関与していた元首相の近衛文麿はA級戦犯リストに入れられ た直後に服毒自殺した。元外相の松岡洋右も公判中に病死してしまった。代わりに広田がターゲットになったと言ってもよい。

 それでも広田は判決に愚痴一つこぼさず「雷に当たったようなものだ」と達観していた。

 心の支えは家族だった。妻、静子は「パパを楽にしてあげる方法が一つあるわ」と言って自ら命を絶ったが、娘たちは欠かさず法廷に通い、被告席の広田と視線を交わした。
 「デス・バイ・ハンギング」。裁判長のウィリアム・ウェッブの死刑宣告で法廷がどよめく中でも、広田は娘たちにほほ笑みかけることを忘れなかった。
   × × ×
 7人の処刑から5年目の命日となる28年12月23日。見知らぬ外国人が興亜観音に姿を現した。東京裁判でインド代表として判事を務めたラダ・ビノード・パールだった。山麓に住む松井の妻を訪ねた後、山道を登り、7人の菩提を弔いに来たのだった。
  パールは裁判で被告人全員の無罪を主張した。法廷に提出した1200ページ超の意見書では、勝者が敗者を裁くこと自体を批判。「日本は計画に基づき侵略戦 争を始めたのではなく、むしろ西洋に挑発された」「一般市民への生命財産の侵害が戦争犯罪ならば、原爆投下こそが裁かれねばならない」などと主張した。
 興亜観音の境内には34年4月、松井の友人らが「殉国七士之碑」を建立した。揮毫したのは広田と外務省同期入省の元首相、吉田茂だった。
満州事変の責任を問われ、処刑された元第7方面軍司令官、板垣征四郎(陸軍大将)の次男で元参院議員の正(91)はこう語った。

 「東京裁判はGHQの占領政策の一環であり、裁判に値しない。だが、心ある日本人がGHQに屈しなかったからこそ7人の遺灰が今に至るまで大切にされた。ありがたいことです」

× × ×
GHQ東京裁判法廷・興亜観音碑
 興亜観音をめぐってはこんな不思議な話もある。
 26年5月、1人の米将校が興亜観音を訪れた。7人の死刑執行の責任者だった米軍中将、ウォルトン・ウォーカーの副官だった。
 ウォーカーは朝鮮戦争の米軍司令官として朝鮮半島に派遣されたが、自らジープを運転中に同僚に追突され、崖から転落死した。
 事故があったのは、25年12月23日未明。7人の命日だった。「7人の呪いではないか」。韓国人将校にこう言われた副官は興亜観音に7人の遺灰があることをどこからか聞きつけ、悪霊払いに訪れたのだった。
 住職の伊丹忍礼は「怨親平等が松井大将のお心です」と言い、ウォーカーの慰霊碑を菩薩像のそばに建立し、法要を営んだ。
(敬称略)
GHQ東京裁判法廷・A級戦犯として起訴

産経ニュース2015.12.20
http://www.sankei.com/premium/news/151220/prm1512200024-n1.html


参考
A級戦犯ではなかった松井石根大将 

( `ハ´ )シナーくんの株式市場日記

▼1月4日
( `ハ´ )今日は新制度導入でワクワク。うまくいくかな。

上海 株価急落 新制度発動で取り引き打ち切り
ことし最初の取り引きとなった4日の中国・上海の株式市場は、株価が大きく下落し、新たに導入された株価の急な変動を抑制するための制度が早くも初日に発動され、本来の取り引き終了時間を待たずに取り引きを打ち切る展開となりました。

ことし最初の取り引きとなった4日の中国・上海の株式市場は、4日に発表された中国の製造業に関する経済指標が市場の予想よりも大幅に悪化したことなどから売り注文が相次ぎ、午後に入って株価は大きく値下がりしました。
4
これを受け、4日から新たに導入された株価の急な変動を抑制する「サーキットブレーカー」と呼ばれる制度が発動され、15分間取り引きを停止しました。ところが取り引き再開後も株価は下落を続けたため、本来の取り引き終了時間の1時間半ほど前に4日の取り引きを打ち切りました。

4
この制度は、去年上海の株式市場で株価が乱高下したことから導入され、基準となる株価指数が、前日の終値と比べて1日で5%以上変動した場合には15分間、7%以上変動した場合にはその日の取り引きを停止するというものです。
4日は、この株価指数が去年の年末に比べて5%と7%をそれぞれ超えて下落し、新制度が早くも初日に発動される展開となりました。この結果、上海市場の代表的な株価指数である「総合指数」の終値は3296.26ポイントと、去年の年末より6.86%下落しました。
市場関係者は「製造業に関する経済指標の悪化などから中国経済の減速が改めて強く意識され、売り注文が相次いだ」と話しています。
NHKNewsWeb2016.1.4
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160104/k10010360591000.html

(||`ハ´ )しょ、初日だから色々あるアルね。没問題アル。

1月5日( `ハ´ )キンペー砲ドヤァ

中国人民銀行、国有銀行通じ人民元買い介入=市場筋

[香港/上海 5日 ロイター] - 市場筋によると、中国人民銀行(中央銀行)は5日、国有銀行を通じ人民元買い介入を実施したもよう。

オンショア市場の元は、取引開始直後に上昇、午前中盤時点で1ドル=6.5197元で取引されている。前日終値は6.5338元だった。

上海の国内銀行のトレーダーは「人民銀行が今朝、大手国内銀行を通じて介入したのは明らかだ。取引は非常に膨らんでいる」と述べた。オフショア市場の元は引き続き軟調。
1ドル=6.6446元と、約4年ぶりの安値付近で推移している。
ロイター2016.1.5
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160105-00000045-reut-bus_all


中国企業10社超、大株主による持ち株売却禁止期間の延長表明

[上海 5日 ロイター] - 中国企業の少なくとも10社は、向こう6カ月か12カ月は自社の支配株主や幹部が市場で持ち株を売却しないと表明した。4日に中国株が大幅安となったことから、株価の下支えを目指す。

中国株安は上場企業の大株主による株式売却の禁止期間(6カ月間)が8日に切れることへの懸念が一因となった。
中国の自動車部品メーカー、浙江世紀華通集団(002602.SZ)が最初に売却禁止期間の延長を自主的に発表。4日遅くに発表した声明文によると、株価安定と少数株主保護の観点から、支配株主は2017年1月9日まで市場で持ち株を売却しないという。
中国証券監督管理委員会(CSRC)は5日、上場企業の大株主・幹部による株式売却を規制するルールを検討していることを明らかにした。
ロイター2016.1.5
http://jp.reuters.com/article/huatong-share-sale-ban-idJPKBN0UJ0I520160105?rpc=122


1月7日
( `ハ´ )と~けるよとける~よ外貨がと~け~るぅ~

中国・上海株でサーキットブレーカー適用 急落で再び

 【上海=土居倫之】7日の中国・上海株式相場は前日比7%安と急落した。相場の急変時に取引を停止する「サーキットブレーカー」制度が4日に続いて再び適用された。取引開始から約30分で売買を全面停止し、同日の取引を終える展開となった。

 上海総合指数は前日比1.55%安で取引が始まった。その後急速に下げ幅を広げた。中国の通貨、人民元が下げ止まらず、資本流出懸念から株式投資家がリスク回避姿勢を強めたことが要因だ。
 中国人民銀行(中央銀行)が7日発表した人民元の売買の基準となる対ドルレート「基準値」は1ドル=6.5646元だった。対ドルで2011年3月以来約4年10カ月ぶりの安値水準となった。米中の金利差縮小観測から人民元の先安観が強まっていることを反映した。
  中国は4日に「サーキットブレーカー」制度を導入したばかり。上海総合指数と並ぶ代表的な株価指数「CSI300」が前日比5%超変動した場合、すべての 株式と先物の売買を15分停止する。また同7%超変動した場合は終日売買を停止する。取引4日間のうち2日間でサーキットブレーカー制度が適用されたこと で、今後見直しの議論が高まりそうだ。
一方、証券監督当局は7日、上場企業の大株主による保有株売却に一定の制限を設ける新しい規制を発表した。3カ月で売却できる株式を発行済み株式数の1%以内に制限する。
日本経済新聞2016.1.7
http://www.nikkei.com/markets/kaigai/asia.aspx?g=DGXLASGM07H3M_07012016MM0000

1月8日
( `ハ´ )事故った新幹線は埋める。天津大爆発跡は公園に。チャイニーズ・ソリューションは万能アルよ。
 
サーキットブレーカー制停止=株急落で「マイナス大きい」―中国

 【上海時事】上海証券取引所などは7日夜、相場が急変動した際、取引を止める「サーキットブレーカー」制度を8日から暫定的に停止すると発表した。
  昨夏の株式急落を教訓に、相場の安定を目指して今月4日から導入された同制度はかえって投資家のパニック売りを引き起こし、4日と7日の2回にわたって、取引が通常の終了時間前に打ち切られた。急落の原因の一つとみられ、見直しを求める声が高まっていた。

 中国証券監督管理委員会も7日声明を出し、同制度は「現在、マイナスの効果の方がプラスよりも大きい」と暫定停止の理由を説明した。
時事通信2016.1.8
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160108-00000002-jij-cn

(||`ハ´ )・・・・
(||`ハ´ )日記・・やめようかな・・・

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(´・ω・`)さてここですごい記事を紹介
AIIBというバスどころか21世紀そのものに乗り遅れてしまった日米の誤算
まぐまぐニュースAIIB高野孟
(最後部分を抜粋)
米日がAIIBの運営が中国の言いなりになるのではないかとその不透明性を盛んに言い立てているのは滑稽である。まだ組織が出来ていないものが透明であるかどうかと問われても、当事者は答えようがない。その言い方そのものが、どうせ世界の田舎者である独裁国がやることだから怪しいに決まっていると思い込む、旧態依然の差別意識の現れと言えるだろう。

AIIB の初代総裁になると目されている金立群は、北京外国語大学大学院でシェークスピアなど英文学を学んだが、英語だけでなくフランス語も能くする語学の才能を 買われて80年に財務部に就職、87年から2年間米ボストン大学大学院で経済学を学び、卒業後直ちに世界銀行の副執行理事となり5年間の任期を全うした。 一旦帰国して94年から財務部の世銀との連絡役を務めた後、03年にはアジア開銀の副総裁となり、当時の黒田東彦総裁(現日銀総裁)に仕えた。08年から は中国投資有限責任公司の監査長、13年からは中国国際金融公司の会長の職にあった。

つまりは中国きっての国際金融のプロで あり、しかも世銀とアジア開銀の大幹部として計10年間、実務に携わり、その両行の甘いも酸いもすべて噛み分けた人物である。米日政府はまずはこういう有 能な事実上の責任者と腹を割って意見交換して見極めれば良よかったのに、それをせずに、遠巻きから「怪しいぞ、危ないぞ」と言うばかりだった。米日はAIIBというバスに乗り遅れたのではなくて、21世紀に乗り遅れたのである。

『高野孟のTHE JOURNAL』Vol.182より一部抜粋
MAG2NEWS 2015.4.22
 http://www.mag2.com/p/news/13536

差別意識の現れ・・・って言われましても
今の上海市場見て透明性があると思うのかい?
中国のエリートは留学もして優秀なんだろうけどさ、それでどうしてこんななるんかねぇ・・

参考
にんげん出版(街道系)からご著書が出ている高野孟氏
民主党・鈴木寛 在特会バッシングに参戦

アサヒる(-@∀@)守真弓記者① 
アサヒる(-@∀@)守真弓記者② 
アサ芸・朝日新聞と朝鮮日報の反日増幅報道を検証 
件の守真弓記者の記事

売れるから「嫌中憎韓」 書店に専用棚/週刊誌、何度も扱う

「国民不満すくう」「訴訟リスク低い」

「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつある。ベストセラーリストには韓国や中国を非難する作品が並び、週刊誌も両国を揶揄(やゆ)する見出しが目立つ。

 東京・神保町の大手「三省堂書店」。1階レジ前の最も目立つコーナーに刺激的な帯のついた新書が並ぶ。

 「これでもまだあの国につき合いますか」「あの国に学ぶことなど一つとしてない!」「どうしてこの民族はこんなに自己中心的なのだろうか」

 同書店では昨年秋ごろから日本を賛美する内容の本と並んで、韓国や中国を批判する内容の本が売れ始めた。大月由美子主任は「店舗の売り上げに占める割合が大きくなり、専用のコーナーを設けることになった」と説明する。

 三省堂だけではなく、多くの書店が、こうした本を集めたコーナーを設け始めており、「嫌中憎韓」は出版物の一ジャンルとして確立しつつある。

 今年に入ってから既に、新書・ノンフィクション部門の週刊ベストセラーリスト(トーハン)のトップ10には『呆韓論』『侮日論』『嘘(うそ)だらけの日韓近現代史』の3冊が登場した。昨年の同時期には1冊もなかった。

 中でも『呆韓論』は7週連続でトップ10入りした。産経新聞出版の担当者は「想定をはるかに超える売れ方だ」と話す。読者からは「韓国がなぜあそこまで反日になるかよく分かった」などの声が寄せられているという。

 05年に発売され、シリーズ累計100万部を売った『マンガ嫌韓流』は22日、新たにムック本を出す予定。担当者は「大手メディアが韓国の悪い部分を報じず、国民の中にたまっていた不満をすくいとったのでは」と分析する。

 こうした傾向は、週刊誌も同じだ。

 昨年1年間に発行された週刊文春全49号のうち、見出しに「中国」「韓国」「尖閣」「慰安婦」などがついた記事は48号に上った。週刊新潮は49号のうち37号、週刊ポストは44号のうち38号、週刊現代は46号のうち28号だった。

 ほとんどの記事が両国や、両国の指導者を非難する内容だ。「売れるのでやめられない。政治家スキャンダルなどと違い、国外のニュースを紹介するだけなので訴訟リスクが極めて低いことも記事を増やす要因だ」。30代の週刊誌記者は明かす。

 週刊誌が中国の記事を求められるようになったのは2010年の尖閣諸島沖での漁船衝突事件の頃から、韓国は12年の李明博大統領(当時)の竹島上陸の頃からという。

 新しい動きもある。昨年末に編集長が交代した週刊現代は1月末の号で嫌中憎韓路線を転換。「『嫌中』『憎韓』に酔いしれる人々は本当に武器を取るつもりか」と訴えた。

 若手記者からは異論もあったが、「面白いだけでなく、ためになる週刊誌でなければならない」(同誌記者)と決めたという。売り上げは「落ちなかった」という。

  メディア批評誌「創」の篠田博之編集長は「週刊現代は思い切った方向転換だったが、それが長期的方針になるかはまだわからない。売れる限りブームは終わら ないだろう」と分析。慶応大の大石裕教授(ジャーナリズム論)は「週刊誌などだけがブームを作ったわけではない。メディアが日韓・日中の対立ばかりを報 じ、日常的な交流のニュースを捨象してきたことも根本にある。報道全体の検証が必要だ」と話す。(守真弓)

昨年7月以降トップ10に入った中韓や日本についての新書
呆韓論/室谷克実/20万部
悪韓論/室谷克実/11万部
嘘だらけの日韓近現代史/倉山満/7万4千部
嘘だらけの日中近現代史/倉山満/7万8千部
侮日論/呉善花/3万部
日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか/竹田恒泰/46万部
日本人はいつ日本が好きになったのか/竹田恒泰/14万部
住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち/川口マーン恵美/16万部

朝日新聞DIGITAL2014.2.11
http://www.asahi.com/articles/ASG2977HYG29UCVL00Z.html

室谷克実氏の本は、ソースは全て韓国メディアで
ご本人は「反論があるなら是非『好韓論』を書いて下さい」と後書きに書いてるんですがそれは

倉山満氏は、嘘だらけの日米近現代史も日露も日英も書いていてシリーズの一環
韓国・中国だけ書いてるわけじゃない

呉善花さんに至っては元韓国人でしょ?単なる韓国叩き本じゃないのは言うまでもない
ずっと以前から日韓の文化の違いを掘り下げて分かりやすく書いてくれてるわけで
(そのせいで韓国に入国拒否されたんだけど!?)

いずれも売れるから嫌韓・嫌中なんて内容にはほど遠いと思うんだけど

何が嫌韓・嫌中にあたるかは我々が決めるってかそうですか
世論誘導できないからって見苦しい  いくら見解が違おうと出版業界人として終わってる

あの文革(文化大革命)のときも、批判的に報じる日本メディアが次々と追放されるなかで、『朝日』は唯一、北京に特派員を置くことが許されるなど、一貫して中国共産党と濃密な関係にありました。

『朝日新聞だけではない 戦後ジャーナリズムが陥っている偽善』 門田隆将
http://ironna.jp/article/486




p21
(本多勝一記者『中国の旅』について)
 もし仮に中国共産党の意にそぐわない記事を掲載すれば、国外追放といった処分を受けるのは必至であったことを充分承知していたため、検証を行うことなく記事を掲載したものであった。

 いやむしろ朝日新聞は、中国政府に隷属することで、当時朝日以外のマスコミの存在が一切なかった中国での報道を独占できるという商業主義の論理が強く働いていたことは間違いないだろう。

売れるからでっちあげ侮日記事書いてきた朝日が何か言える立場かね
次は「南京大虐殺」だ!本多勝一がキャプション誤用を認める 

国を売って金儲け。日本ヘイト新聞。 

朝日新聞・守真弓記者の記事がここでも話題になっていた
業界でも「何だこりゃ」と思った人が多かったんだろうなぁ
アサヒる(-@∀@)守真弓記者① 
 アサヒる(-@∀@)守真弓記者② 
②の中で、韓国紙と朝日新聞と連携を疑うほどに似ていると書いたがやはり同様に思う人がいたか

朝日新聞と朝鮮日報の反日増幅報道を検証(3)
まるで姉妹紙のように歩調を合わせる両紙

 朝日新聞、朝鮮日報などによって国際問題に発展した慰安婦問題だが、解決法とされていたアジア女性基金は07年に解散した。窪田氏(元朝日新聞記者で、ジャーナリストの窪田順生氏:筆者)が語る。

「最近、韓国はもう一度アジア女性基金のような組織に、日本政府のお金を入れて、公式な謝罪をしてくれと言っています。90年代の解決方法にまた戻りつつあるのですが、今回もまた朝日新聞がケチをつけてご破算にするおそれもあります
(前回はそうだったからね(怒)
 12年、竹島に上陸した李明博〈イ・ミョンバク〉前大統領が、
「(日王が)韓国に来たいのであれば、独立運動家を回ってひざまずいて謝るべきだ」
 と発言した際には、またもや両紙はコンビプレイを見せる。まずは朝鮮日報がガソリンを注ぐ。
〈日 王の父ヒロヒトは1926年の即位後、植民地支配時に我が民族全体を迫害し、弾圧した人物であり、太平洋戦争では韓国の若者を銃の盾とし、若い女性を日本 軍の性的奴隷にした特別A級戦犯であり、南北分断も日帝統治が原因であるのだから、日本王室に対する当然の要求である〉
 当時日本は、竹島領有権の国際司法裁判所への提訴や、日韓通貨スワップの停止を検討する動きに出ていた。すると、朝日新聞は韓国の過激な行動をいさめながらも、「尖閣と竹島 政治が対立をあおるな」と題した同年8月21日の社説で、こうした日本の動きを非難した。
〈あ たかも制裁のように関係のない問題を持ち出すのはいかがなものか。韓国経済の不安定化は、日本にとってもマイナスになりかねない。(略)韓国としっかり話 し合うべきだ。日中も、日韓も、前に進めていかなければならない関係だ。何が本当の国益なのか、冷静に考える必要がある〉
 そしてまた、朝鮮日報がその記事に呼応する。13年12月には、「1年が過ぎた現在まで(日本人は)この発言を問題視している」と再びガソリンを投下。
〈あまたの韓国人に塗炭の苦しみを味わわせたという原罪を、(日本人は)都合良く忘れてはならないのではないだろうか。たとえ、今の韓国から多少過激な発言が出たとしても、正しい歴史認識のある日本人なら、そのくらいはやり過ごすのが道理ではないか〉
 まるで姉妹紙のように歩調を合わせ、反日意識を増幅していく両紙。戦後、左派(リベラル)論調をリードしてきた朝日新聞について、窪田氏はこう語る。
「これまで日本の主流だったのはリベラル層です。私も含めて、隣国の主張を聞き、誠実に対応したほうがいいと考えてきました。慰安婦問題によって、それがいかに無責任で、日本全体に影響を与えてしまったかが、一般の人にもわかってしまったのです」
 13年の下半期、唯一部数を伸ばした新聞は「慰安婦問題」を批判する産経新聞だった。一方の朝日新聞は、09年以来、都内から100店もの販売店がなくなった。書店の書棚に並ぶ嫌韓本を朝日新聞は「売れるから『嫌中憎韓』書店に専用棚 週刊誌、何度も」と題し、
(これが守真弓記者の記事)
〈『呆韓論』は昨年12月5日に発売されてから2カ月弱で20万部売れ、7週連続でトップ10入りした〉
 と、皮肉った。「呆韓論」の著者である室谷氏は、日本の左派と韓国の右派が連動する異常な関係をこう断じた。
「韓国の新聞・テレビの記者たちは『記事とは愛国的な立場から書くべきだ』という思い込みが強い。社会面では、かなり独善的な『勧善懲悪』の立場になります。朝日新聞は反日マゾ、朝鮮日報は反日サドでピッタリ一致するのですよ」
 窪田氏が続ける。
「これまで朝日はかたくなに慰安婦記事の検証をしてきませんでしたが、ここまで事態を悪化させてきた“犯人”であることは間違いない。当時の取材の経緯を含めて、検証記事を載せる時期に来ているのではないでしょうか」
反日をあおって悦ぶ2つの「朝日」の「SMプレイ」には、もうつきあってはいられない。
◆アサヒ芸能4/15発売(4/24号)より
Asageiplus2014.4.23
http://www.asagei.com/excerpt/22284 

何が朝日新聞の影響は限定的(by林香里@朝日新聞社第三者委員会)だよふざくんな
 

朴正煕政府が売春女性を慰安婦と呼び管理=韓国議員が資料公開

 韓国野党・民主党のユ・スンヒ議員は6日に行われた女性家族省の国政監査で、朴正煕時代に国が米軍兵を相手に売春する女性らを直接管理し、女性らを“慰安婦”を呼んでいたことを示す資料を公開した。複数の韓国メディアが報じた。

 国政監査でユ議員は、「米軍慰安婦という言葉を聞いたことがあるか」と発言。「国が(米軍慰安婦を)組織的に主導した証拠がある」と述べ、国家記録院から提出を受けた資料「基地村浄化対策」を発表した。同資料は1977年4月に作成されたもので、表紙に朴正煕大統領の直筆サインがある。
  発表によると、資料には、当時政府が全国62カ所の基地村に9935人の女性が暮らしていたことを把握し、浄化政策の一環として基地村に専用アパートを建 てる計画があったことなどが記されている。当時の被害者の証言によると、専用アパートの建設は、公娼として認めることになるとの論争が起きたことで白紙化 したという。
 ユ議員はまた、各地域に基地村の女性を強制的に収容する「性病管理所」があったとし、関連する条例 や登記簿謄本を公開した。この中の議政府市の条例改定案には、「国連軍駐屯地域の慰安婦のうち、性別保菌者を検診、探し出して収容治療や保険・教養教育を 実施する」との記述があった。
 ユ議員は、「基地村の女性に対して“慰安婦”という用語を使用し、強制収容して治療を行っていたことが明らかとなった」と述べた。強制収容治療では性病が完治するまでペニシリン注射が行われ、この過程でペニシリン・ショックを起こして死亡する女性は多かったという。
 ユ議員は韓国政府に「軍独裁時代に行われた人権侵害や過ちを認めるべきだ」とし、被害女性の実態調査に乗り出すよう求めた。(編集担当:新川悠)
サーチナ2013.11.11
http://news.livedoor.com/article/detail/8240195/ 

参考
基地村で裁判を起こしたフィリピン女性朝日新聞の誤報取り消しから一年 
週刊新潮・ならば青瓦台に「米軍慰安婦の像」を! 
米軍慰安婦「洋公主」と基地村

【台北から見る中国軍事情勢】
両岸「安定」の背後で 中国人民解放軍、台湾の総統府など模した施設造営 軍事訓練の目標に
台湾総督府
(朝鮮総督府は取り壊されたが台湾総督府はこうして残っていると)

 中国の人民解放軍が7月、台湾の総統府やその周辺を“再現”した建物を使用して演習を行っていたこ とが判明し、台湾内部に波紋が広がった。最も中国は武力による台湾統一の可能性を放棄しておらず、特殊部隊による台湾の主要部制圧の選択肢は以前から指摘 されていた。今回の演習はその一端を示したに過ぎない。中国軍は総統府にとどまらず、空軍基地など台湾の重要施設を再現し、着々と侵攻準備を進めている。 (台北 田中靖人)

 今回、問題となったのは北部、内モンゴル自治区の「朱日和戦術訓練基地」。台湾メディアによると、総統府だけでなく、総統府前広場や目の前の大通り、近くにある外交部(外務省に相当)の建物など、周辺1ブロックほどの区画が再現されていることが、グーグルマップで確認できる。
実際の総統府周辺には中央行政機構が集中しており、上空の飛行が禁止されるなど「博愛警備管制区(博愛特区)」と呼ばれる軍事管制区域に指定。対テロ任務 も持つ憲兵隊が警備を担当している。博愛特区は、台湾海峡に流れ込む淡水河に近い。台湾の国防部(国防省)は、淡水河の河口を想定した上陸作戦は、中国軍 の年度訓練の科目の一つになっていると説明している。また、台北市北部には、中台直行便が離着陸する松山空港もある。特殊部隊による総統府周辺への侵攻 は、台湾の国防部にとっても恐らく「想定内」の事態だろう。

 一方、演習が行われた北京軍区の朱日和の演習場は、7大軍区ご とにある師団規模の実動演習が可能な合同戦術訓練基地の一つ。面積1000平方キロ以上で「アジア最大の軍事訓練基地」(蘋果日報)とされる。山地・平地 から、小さな村や住宅街、鉄道の駅、パリのエッフェル塔に似た鉄塔までさまざまな建築物があり、都市戦を含む各種演習に用いられているという。

  朱日和以外にも、台湾の基地などを模倣した施設の存在は知られている。中国北西部・甘粛省の鼎新県には、台湾中部・台中市にある台湾最大の空軍基地、清泉 崗空軍基地とほぼ同じ形の施設があることが1990年代から知られている。衛星写真で直径20メートルの複数の穴が確認されており、精密誘導兵器による滑 走路の破壊訓練が行われているとみられている。中国軍が滑走路の破壊能力を高めることは、有事に使用可能な滑走路が少ない日本の南西方面の防衛にとっても 大きな脅威になり得る。
このほか、中国軍は、台湾空軍が先制攻撃から戦闘機を守るため、中央山脈の岩盤をくり抜いて200 機以上の格納スペースを作った東部・花蓮県の佳山空軍基地に似た施設や、戦時に総統が陸海空軍を指揮するための台北市北部の地下司令部、衝山指揮所に似た 施設などを福建省に建設。中国東南部の沿岸地域では毎年、台湾を想定した水陸両用部隊による上陸演習を行っているとされる。

 朱日和での 演習が台湾で問題になった7月22日、中国国防部の新聞事務局は、台湾メディアに対し、「毎年定例の軍事演習であり、いかなる特定の目標に対するものでも ない」と回答した。しかし、演習施設の存在を見るだけでも、こうした弁明が「白々しい嘘」(自由時報)であることは明らかだろう。

    ◇
2008年の馬英九政権成立以降、中台関係は安定し、軍事的な緊張は大きく低下し た。中国軍の近代化の目標は今や、台湾の武力統一ではなく、南シナ海や西太平洋で米軍に対抗することだとも指摘される。だが、国共内戦は正式には終了して おらず、中国軍は、台湾にとり「最大の軍事的脅威」(国防白書)であり続けている。台湾は質・量ともに急速に拡大する中国軍にどう対峙(たいじ)している のか。日本の安全保障上、参考にすべき点はないのか。そんな視点で、中国や台湾の軍事情勢を台北から伝える。
産経ニュース2015.8.12 http://www.sankei.com/premium/news/150808/prm1508080036-n1.html
(韓国の街並みをそっくり再現した北朝鮮の対南工作を思い出す・・
亡命工作員の語る対南工作2

馬英九政権成立後、軍事的な緊張が低下したなら
馬英九政権が終わったら緊張するってことですかね

(|| `ハ´ )・・・  (・ω・`)あれシナーくんどうしたん?

(||`ハ´ )新年あけまして終了アル (・ω・`)え?

上海 株価急落 新制度発動で取り引き打ち切り
ことし最初の取り引きとなった4日の中国・上海の株式市場は、株価が大きく下落し、新たに導入された株価の急な変動を抑制するための制度が早くも初日に発動され、本来の取り引き終了時間を待たずに取り引きを打ち切る展開となりました。

ことし最初の取り引きとなった4日の中国・上海の株式市場は、4日に発表された中国の製造業に関する経済指標が市場の予想よりも大幅に悪化したことなどから売り注文が相次ぎ、午後に入って株価は大きく値下がりしました。
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これを受け、4日から新たに導入された株価の急な変動を抑制する「サーキットブレーカー」と呼ばれる制度が発動され、15分間取り引きを停止しました。ところが取り引き再開後も株価は下落を続けたため、本来の取り引き終了時間の1時間半ほど前に4日の取り引きを打ち切りました。

4
この制度は、去年上海の株式市場で株価が乱高下したことから導入され、基準となる株価指数が、前日の終値と比べて1日で5%以上変動した場合には15分間、7%以上変動した場合にはその日の取り引きを停止するというものです。
4日は、この株価指数が去年の年末に比べて5%と7%をそれぞれ超えて下落し、新制度が早くも初日に発動される展開となりました。この結果、上海市場の代表的な株価指数である「総合指数」の終値は3296.26ポイントと、去年の年末より6.86%下落しました。
市場関係者は「製造業に関する経済指標の悪化などから中国経済の減速が改めて強く意識され、売り注文が相次いだ」と話しています。
NHKNewsWeb2016.1.4
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160104/k10010360591000.html
これは危険をはらんでるということでもあるわけ


【iRONNA発】
中国株暴落 経済の掟よりもメンツにこだわる習政権 上念司氏
(部分抜粋)

一党独裁のためなら…
  今回起きている暴落は、借金をして行った信用取引の解消に伴うバブル崩壊である。信用取引の残高が、ある程度減るまでは株価の下落は続くだろう。中国人民 のうち、株式投資をしている人口は9千万人とも2億人とも言われている。彼らは共産党政権に対して強烈な不満を持つことはまず間違いない。

 そんなとき、共産党は何をするだろう。国民の不満をそらすために反日カードを切る可能性はないだろうか。 尖閣諸島周辺でもめ事を起こして、それによって愛国心を喚起したり、「株価暴落の真犯人は日本の機関投資家だ!」といった陰謀論を吹聴したりする可能性は ないだろうか。共産党の歴史をひもとけば、彼らが一党独裁を続けるためなら、殺人、拷問など朝飯前であることを忘れてはいけない。

産経ニュース2015.8.2
http://www.sankei.com/premium/news/150802/prm1508020015-n1.html

( 一一)んーきなくさい

AIIBでバスに乗り遅れたぁ~~とか言った人達は今どんな顔を・・
(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい

シナーマリオ
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1451893593/
 ( ̄д ̄)アワワワワワワ

追記2015.1.8
サーキットブレーカー制停止=株急落で「マイナス大きい」―中国

 【上海時事】上海証券取引所などは7日夜、相場が急変動した際、取引を止める「サーキットブレーカー」制度を8日から暫定的に停止すると発表した。
  昨夏の株式急落を教訓に、相場の安定を目指して今月4日から導入された同制度はかえって投資家のパニック売りを引き起こし、4日と7日の2回にわたって、取引が通常の終了時間前に打ち切られた。急落の原因の一つとみられ、見直しを求める声が高まっていた。

 中国証券監督管理委員会も7日声明を出し、同制度は「現在、マイナスの効果の方がプラスよりも大きい」と暫定停止の理由を説明した。
時事通信2016.1.8
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160108-00000002-jij-cn
(´・ω・`)ありゃ~gdgdですな 

(´・ω・`)長いので外国特派員協会に関するところを抜粋

カネと宣伝で中国に幻惑される米国『歴史通』 2014年5月号

ヘンリー・S・ストークス(元『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長)
加瀬英明(評論家)
北村稔(立命館大学教授)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 加瀬 中国に幻惑されているのだと思います。支那事変のころ、(蒋:筆者)介石政権はアメリカ議会、研究所、マスコミを金漬けにしました。それと同じことを今の北京政権が行なっている。ワシントンポスト紙には毎日チャイナ・デイリーの英語版が折り込まれているのです。

英語メディアの重要性

北村  そう、英語のメディアって大切ですよ。中国人がやっているように、お金を使って英語で世界に自国の主張を広げるということは、情報戦の基礎ですよね。日本 人はあいかわらず情報戦への認識がない。「謀略」を嫌がりますし、「無謀」という言葉もある。日本人のスタンスは謀略と無謀の中間だと思うのです。「謀略 をやると相手を騙しているようで悪いし、無謀って言うとバカだ」と(笑)。

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 北村  蔣介石の国民党からすると、アメリカが出てくると日本に勝てるわけですから、真珠湾攻撃の日の彼の日記には、「神は助け給うた」と書かれていますよ。アメ リカに参戦してほしいので、蔣介石は色々な謀略をするのです。国際宣伝処をつくって、「日本軍は残虐で中国人は一所懸命抵抗している」ということを、英語 メディアに訴える。外国人記者を抱え込んで、ネットワークを作るんですね。

今もいきる「記者協定」
加瀬 日本は日中記者協定で「中華人民共和国を批判するような報道はしません」と取り決め、今でも有効なんです。

ストークス 日本の新聞・テレビは、言論の自由を自ら否定している。それでいながら、民主主義という言葉をさかんに振り回す。その言葉を使う資格があるのか、と言いたい。

北村 だから、中国で暴動が起こっても、映像を他の通信社から買って流しているんじゃないですか。

  以前、日本の新聞社の北京支局に行ったら、雇っている現地の中国人スタッフに話を聴かれてしまうから、「外で話そう」と連れ出されました。そのときの話で は、中国人スタッフを雇わなければならないのだ、とのことでした。中国の情報網が緻密に張り巡らされて、日本は頭から抑え込まれている状態なんです。

 中国人は長い歴史の中で、外交でいかにお金を使って相手を取り込むかということに長けています。

 かつてアイリス・チャンの『レイプ・オブ・ナンキン』の売れ行きがすごいと騒がれましたが、あれは在米華僑が買い占めたのです。アメリカ人の編集者たちの間ではそう言われていました。お金を使って操作し、事態を盛り上げていくのは昔も今も得意です。共産党も国民党も、同じ知恵を持っているんでしょうね。

「アメリカ人が幻惑されているのではないか」との話がありましたが、まさにその通り。中国人のパフォーマンスは決して弱気になることはありません。深刻に考えたりせず、強気で押してきます。ビジネスでも何でもそうです。

  日本人は「おとなしくて誠実にしていれば正義は理解される」と思っていますが、そんなの相手にわかるはずがありません。中国人は思い切りお金を使って自分 に有利なようにする。を言うことに対しての恥の概念がまったくありませんし、政治のレベルから個人のレベルまで徹底しています。これでは日本人はかないま せんよ。

中国人を好む米国人

加瀬 以前、日本政府の対米折衝をお手伝いしたときに、キッシンジャー が国務長官でした。お酒の席で「なぜアメリカ人は日本人より中国人を好むのか」と聞いたことがあります。すると、「中国人は論理的で話がわかりやすいけれ ども、日本人は何を考えているのかさっぱりわからないから苦手だ」と言われました。ストークスさんも最近のご著書の中で「西洋人はディベートの社会であ り、中国人も同じくディベートの社会だ」とおっしゃっていますよね。論理的で「正しい、間違っている」の判断がはっきりしています。

北村 中国人は、論理的でなくても、自分に有利なように見せかけることが得意なんです。理屈を言ってダメだったら、また別の理屈を持ってきて、理屈を積み重ねていきます。そこに「恥ずかしい」という概念はありません。

加瀬 アメリカ人も多分にそうですね。

ストークス  日本人は和を大切にしているので、私が正しい、おまえは完全に間違っているといって、相手をやり込めることをしません。リクツ(理屈)といって、嫌われま す。白と黒をハッキリさせずに、相手の顔も立てようとしますね。ところが、日本の外では和の心は通用しません。日本人のよい面が、外国では裏目に出る。

北村 個人的な話で恐縮ですが、私は外国に行くとダブルスタンダードで行動します。問題が起こったら常に権利を主張するようにしています。自ら引いてしまうと、やられる一方だから。

加瀬 ストークスさんは日本外国特派員協会(=FCCJ)の最古参ですよね。

ストークス ロサンゼルス・タイムズのサム・ジェームソン氏が私よりも少し前に来日しましたが、サムが他界したので、私が最古参です。

加瀬 僕も協会の古いメンバーで、実はストークスさんよりも古参なのですが、協会所属記者のほとんどが反日ですね。たとえば、ニューヨーク・タイムズの特派員でニコラス・クリストフ記者はとにかく日本を憎んでいるとしか思えなかった
(→人食い日本兵の元ネタ、かも

ストークス 彼には中国生まれの中国人の奥さんがいますから、その影響もあるかもしれません。

加瀬  あるとき、クリストフ記者が僕に取材をしにやってきたのです。僕は昔からニューヨーク・タイムズに署名原稿を書いていて、ニューヨーク・タイムズの持ち主 だったイフジン・サルツバーガー夫人と個人的に親しくしていたので、手紙を何通か持っていたのです。それを見せたら突然態度が変わって椅子から床に落ちそ うでしたよ(笑)。インタビュー記事を見たら、僕のことを褒めているんです。

北村 アハハハハ(笑)。

日本嫌いの記者ばかり
加瀬 クリストフ記者をはじめ、協会にいる欧米の記者は、なぜ日本嫌いが多いのでしょうか。昨年末12月26日、安倍首相が靖國神社に参拝したことに関しても、また、慰安婦のことに関しても、日本を非難する記事ばかりでしょう。

ストークス 外国特派員協会は、占領下に創立されたころから反日で す。42年前に来日した時、協会があまりにも“アメリカ的”なので、私はアメリカ人記者とは少し距離を置いた見かたをしていました。クラブのバーで年配の アメリカ人記者たちがサイコロをふったり、賭け事にふけっていました。西部劇のような空気でしたね。日本人に対しても、「クサイ」といって侮る態度をとっ たり、ハナから反日的でした。そういう戦勝気分にひたった記者たちがいなくなってきたので、だいぶ変わってきましたが、反日的空気は多分に残っています。
(→世界に「反日の毒」をまき散らす 外国特派員協会

 それに、先の戦争で日本人によって白人の天下が壊されてしまったという怨念が心の底のどこかにありますね。

 このところ、一番の問題は、フィナンシャル・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナルに駐日特派員が記事を書いてもめったに掲載してくれません。たとえばニューヨーク・タイムズでは一面トップは中国に関する記事が掲載されます。

 中国は巨額の資金を動かしているわけですが、それに比べると、日本がアメリカなど海外で使うお金はまるで目薬の一滴のごときものです。

加瀬  アメリカ人から見ると、中国はいまだに非常にロマンチックな国で、日本はそうではないようですね。親しいアメリカ人などと話すと、日本人が「日本がまたア メリカよりもいいものをつくった」といって不快感を買うのに、中国人相手だとよいものを創る力がないためか、そんな感情は起こらないようです。中国に対し ては親しみがあるんですね。

ストークス ウォール・ストリート・ジャーナルなども「世界の工場・中国」と記事を発信していますけれど、友人たちも誰もが口をそろえて「中国は世界の工場だ」と言います。何といっても中国が動かしているお金は、目がクラクラしてしまうほど莫大なのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

中国人と西洋人は似ている加瀬 ストークスさん、最後にお訪ねしたいのですが、「日本」を世界にわからせるためには、何をしたらいいでしょうか。たとえば、日本外国特派員協会を閉鎖して追放するとか(笑)
(これに賛同する日本人が大半だろうな。)

ストークス このところ、日本食からアニメ、デザイン、ファッションなど日本が西洋に及ぼしてきた文化的な影響は、大きなものがあります。そこへゆくと、中国が近代に入って西洋に及ぼした影響は、何一つありませんね。

 政府が海外で「クール・ジャパン」のキャンペーンに力を入れているのも結構ですが、日本人の精神性、歴史についての知識をひろめることに努力するべきですよ。

加瀬 中国人も西洋人も自己中心的で、そういう意味ではすごく似ているので相性がよいのでしょう。西洋人が中国に幻惑されているのは、「お化けを見て騒いでいる」ようなものですよ。

北村 中国に対するロマンが、昔からヨーロッパにあるのでしょうね。

加瀬 世界をキリスト教化するのが当時の夢なのです。しかし、日本は嫌われる。特に宣教師の子供たちが日本に対して恨み骨髄に徹するほど日本を嫌っています。両親が一所懸命日本人を改宗させようとするのに、その努力はまったく結ばれないから「日本はなんて嫌なところだ」となってしまう。

 ところが、中国人はすぐにコロっと改宗してしまうのです。

北村 現世利益でしょう。西洋とつながることができて、優先的に商売できますからね。日本人は多神教というか多元的価値を容認しますから、一神教であるキリスト教の布教は相当に困難でしょうね。

 現実の中国と向き合い、どのように日本の行く末を見定めるのか、まさしく今が選択の時だと思います。

ストークス  日本文化の特徴は、はかなさと物慾がないことですね。昨年は伊勢神宮の遷宮式が日本中で大きな話題を呼びましたが、ひと口でいえば、簡潔さですね。昔、私 の叔父が駐日大使をつとめていましたが、天皇の宮殿にまったく金銀が使われていないことに、驚いていました。中国の故宮や、西洋の宮殿はどこを見ても目に も眩い財宝がこれでもかこれでもかとあります。西洋も中国も物慾が強いという共通点があります。日本は理解し難いんですね。

ironna
http://ironna.jp/article/1639?p=1


最近南京大虐殺()関連の資料をちまちま読んでいるが
外国特派員協会の有り様とか
外国メディアの日本への無理解、偏見、日本叩きとか
国連関連のゴタゴタ=ユネスコ世界遺産登録や援助交際13%発言を目の当たりにしているため

当時も同様にやられたんだなぁ、全く同じであるなぁ、と容易に分かるわけですね
一方、日本まるで進歩してねぇとも思うのですが

分かってはいても金で世論を買うなんて汚いとどうしても思うので既にそこで負けてる気がする・・
だけど戦闘を回避するためにはやらなければ

彼らが過去を塗り替えるのは未来の侵略のためなのだから。
(→ディスカウント・ジャパンは侵略の布石

参考
メディアキャンペーンに常に失敗する日本
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